2025年5月19日
アーリア人の南下
紀元前1000~1500年
カスピ海地方の民族が移動(インド・ヨロッパ語族)
西ーヨーロッパ人
南ーイラン、インド・アリア人
共通の神アスラ、アフラ・マズダの音写→阿修羅
アフラ・マズダ
紀元前500年頃のペルセポリス遺跡
ゾロアスター教の全知全能の神
アフラーマズダー
ハヤブサの翼ーエジプトのホルス神
円環ー太陽・・・エジプトの一神教の影響
アスラ・デーバー
アンコールワット遺跡(ヒンズー教)
中央:ビシュヌ神
左:アシュラ(悪神)
右:デーバー(善神)
3面のシバ
エレファンタ島のヒンズー教の石窟寺院)
シバ神: 破壊と創造の神
中央:瞑想
右:破壊
左:創造
モンスーン:破壊ー新たな芽生えー創造
仏教の阿修羅
砂漠のシルクロードの終点:敦煌莫高窟
海から阿修羅が立ち上がる
高く上げた両手に太陽・月を持つ
仏教の阿修羅は神々の王帝釈天に戦いを挑みまました
雲崗の阿修羅
草原のシルクロードの終点
:大同(平城)
遊牧騎馬民族鮮卑:北魏の作った石窟寺院
楽しそうに飛天が舞っているその中に
阿修羅がいる
左は法隆寺五重塔にある日本最古の阿修羅(釈迦の涅槃像の場面)
711年制作
この後23年後に右の興福寺阿修羅が作られる
興福寺の阿修羅の制作時の姿
興福寺の阿修羅は明治時代に修理されており当初の姿に復元すと両手の間にすきまだ出来る 法隆寺の阿修羅は珠(?)を持っており 何かをもっていたとおもわれる それは敦煌の壁画より推測される
手の角度補正、別材追加
2つの阿修羅 法隆寺の阿修羅
聖徳太子の死後643年皇極天皇、蘇我蝦夷らは斑鳩の宮の山背大兄王を襲い、一旦王は生駒山へ逃れるが。再び斑鳩の宮へ帰り妃共々全員自害する ここに上宮王家は滅亡する
この悲劇をわが一族のことと実感したのは、聖武天皇の義母橘三千代である 彼女は法隆寺再建に尽力し、又莫大な寄進をする
そして五重塔の釈迦涅槃に阿修羅を安置する この阿修羅は第一手に珠(如意宝珠)をもっている 上宮王家の菩提をともらうと共に聖武天皇、光明皇后等一族の平安をこの珠(?)にこめたのである
2つの阿修羅 興福寺の阿修羅
734年、光明皇后は母橘三千代の冥福を祈るため興福寺西金堂を完成させ、そこに阿修羅像等の群像をおさめる この阿修羅像は法隆寺の阿修羅と同じ珠を持っていたと思われる
というのはこの当時聖武天皇の世は大変な時代であった 聖武天皇は長屋王の祟りを恐れ都を4回もかえ、やっと平城京にもどり東大寺に大仏の製作を始めたばかりであり 疫病による藤原4兄弟の死、飢饉、藤原広嗣の乱を鎮圧のため九州出兵 自らは病に伏し娘の孝謙天皇に譲位するなど、世は乱れていた 母三千代の菩提をともらうと共に 世の平安を取り戻すため阿修羅に珠(如意宝珠)をもたせたと思われる